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校長あいさつ  本校の歴史

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校長あいさつ


令和6年度 学 校長 挨拶

 私は、 伝統と誇りある太宰府市立学業院中学校の校長を拝命し、今年度、4年目を迎えました。
母校の校長として、誠心誠意、生徒・地域の為に尽力する次第でござ
います。
今年度もよろしくお願いします。

さて、本校の教育の根幹は 上図の 「学業院訓」があり、代々受け継がれています。
この学業院訓を基本として、
学校の教育目標を「志と感謝をもって自己を磨き、協働して未来を築く生徒の育成」としています。
本校は、奈良・平安時代に太宰府政庁の役人を養成する「学校院」に因んで学業院と名付けられました。昭和 22 年、学制改革とともに旧太宰府町・旧水城村合同組合立の新制中学校として創立されましたが、戦後の混乱の中にあり、当時独立した校舎を持たずにいました。
昭和 24 年 5 月 9 日、この窮状を見かねた地元の篤志家の宮村吉蔵氏が自ら経営する宮村女子商業学校の校舎と校地を無償で寄贈していただき、学業院中学校となり、その日が開校記念日になったという他に類を見ない歴史を持つ学校です。
また、新元号「令和」は「梅花の宴」が歌われた万葉集の序文が由来と発表され、その「梅花の宴」が行われたのが本校校区にある太宰府政庁跡や坂本八幡神社の付近にあったと言われ、本校校区は全国的にもクローズアップされました。
伝統と文化、自然と歴史、人々の温かい思いに恵まれた素晴らしい学校です。
令和6年度は、全学年とも 8 学級、特別支援学級 11 学級の全 35 学級、全校生徒数 938 名でスタートしました。
コミュニティ・スクールとして保護者・地域と共に子ども達を共育し、本校に誇りをもち、地域を愛し、地域に愛され、地域に働きかける生徒を育成してまいります。


  令和 6 年 4 月 1 日

                           太宰府市立 学業院中学校

                             校長 齋藤 孝










本校の歴史


学業院中学校 設置の経緯

昭和22年4月15日、新学制制定
 新制中学校誕生と同時に発足、大宰府町水城村学校組合立学業院中学校として開校。校名は、天平勝宝6年(754年)遣唐副使の
大任を果たして帰朝した吉備真備が国学としてのこの地に建てた学校院(学業院)の名を採る。
 昭和22年開校当時、宮村高等女学校(昭和15年設置)の一部を借りて授業が行われる。
学級数1年4学級、2年2学級、3年1学級、計7学級、317名。昭和24年5月9日、宮村財団より現在地、校舎の寄贈を受ける。
5月9日を開校記念日と定める。


   
写真:開校当時の学業院中学校 



本校校名の由来と宮村吉蔵氏の遺徳

 本校の校名は、奈良時代、大宰府政庁の役人養成の学校である府学校の名称から由来しています。府学校とは、当時の役人養成の
学校名ですが、当時の学校を別名、学業院、または学校院と呼んでいました。 学業院という名称は学校設置の地名が小字名で、「学業」
と称していたことから生まれました。
 この学業院が名実ともに国学の養成所として機能しはじめたのは、大宰府大弐となった吉備真備によってです。したがって、学業院の創設は
754年となっています。当時は二百余名の学生がおり、明経(儒学)、算(数学)、医(医学・薬学)を教え、非常に教育熱心な学校でした。吉備真備
の息子・吉備泉も当校から平城京の大学寮を経て大学頭に就任しました。しかし、11世紀の半ば、観世音寺との土地問題からいつの間にか学業院は
姿を消していきました。 それから、約9世紀の後、昭和15年、当地に宮村女子商業学校が宮村吉蔵氏によって創設されました。彼は大牟田市の松屋
百貨店の社長であり、女子社員の養成学校として、また、未来の理想的な女性の育成をはかるための学舎として情熱を注いでいました。

   
 写真:宮村女子商業学校


しかし、戦後、昭和24年5月9日に宮村理事長は、当地に公立の中学校がなかったため、土地と校舎を寄贈した。
この学校が学業院中学校であり、現在にいたります。
本校の特色は、奈良・平安時代の伝統的文化を学習する中で、日本文化のこころを体得し、将来、国際舞台で活躍し、世界の国々と友好関係を確立
できる国際人としての日本人をめざして、国際理解教育を推進しています。それらの根底には、同和教育を基盤にし、人間関係づくりに重点をおきながら、
学業院訓を堅持し、自己の実現に向かって邁進できる生徒の育成をはかっています。


   
写真:開校当時の学業院中学校 の様子





本校の沿革


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